今日はおうちで映画を見ました。
見たのは吉本ばななの「キッチン」です。
なお、主人公のみかげを演じたのは若かりし頃の川原亜矢子です(そのバージョンです)。
昨日、小説の「キッチン」を読もうと急に思ったのですが、本棚には吉本ばななが8冊あるも「キッチン」は無し。
検索して、動画配信で見ました。
1989年の映画ですが、自分が見たのは大学生で、VIDEO JAMの司会が井上睦都実(相方はローリー寺西か阿部義晴)だった頃なので、こちらによると、1994年頃。
深夜放送で流れていて、実家のリビングのテレビで見ていました。
悲しかったのか、感動したのか、年下女子に恋した恋愛がうまくいっていなかったせいか、今となっては判然としませんが、映画を見て初めて涙したのを覚えています。
ストーリーは、というと、上記リンクのWikipediaからのリンク先のこちらに詳しく書かれています。
映画で描かれるのは、人は苦しいときも食べ物を触媒として回復できる、そんな場面たちです。
そして大事な人を思いやり、その思いを時には言葉にしない、あるいはあえて言葉にする、そんな場面です。
前者の食べ物を介して精神的に回復できるという思いは自分の中でも今でも息づいています。
それは無意識的にこの「キッチン」をベースにして、日々の生活の中ではぐくまれてきたのだと思います。
久しぶりに見た思いについてもコメントしておきます。
みかげの見たおばぁちゃんの夢の中のように、みんな生きているのか死んでいるのか、生と死の境界線にいるような、そんな映画だと思うのです。
夢のようにおいしいラーメンのように夢のようにやさしく、そして先鋭的にポップな言葉を発しあう、みかげと雄一。
この映画を見た大学生の当時、そんなポップさにおそらく自分は魅かれ、一方で、愛おしい関係性に涙したのだと思うのです。
映画については、ここまででですが、以下補足的なコメントです。
自分のあいまいな記憶では、たしか小説のほうでは、みかげはもっと尖った人物だったような気がするのです(みかげ視点だからかもしれません)。映画ではポップなワードは残し、みかげも雄一もやさしく、えりこが言ったように「何を伝え、何を伝えないのか、それがセンス(それが大事)」を実践する・実践できる人として描かれているように思いました。
自分はどちらもそれはそれで、面白いと思ったように思います。
そして小説ではたしかえりこは殺害されるのだったと思うのです。自分は映画が先で、小説が後だったので、小説を読んだときに、そのことに衝撃を受けた覚えがあります。
今回も「たしかこの後殺されるはず」と思いながら見てしまい、やや素直な視点で見れなかったような気がしました。
しょうがないので、今この文を推敲しながら、2回目を見てしまいました。
*既に書き出しの今日ではありません。
個人的なことを言うと、自分にしては珍しくちょっとしんどい場面だったので、何かを振り返りたくなったのです。
ピチカートファイブの「悲しい歌」を聴いて、この「キッチン」を見て、涙を流し、なんだか元気が湧いてきたような気がするのです。
そして、一人飯でしたので、次の日の晩御飯には、映画にちなんでラーメンを作って食べてみました。
夢のようなかはわかりませんが、おいしい味噌ラーメンができました。
アウトドアでポジティブなことしか書いていない、このブログですが、映画をみて元気を出した、たまにはそんな回もあっていいのかな、と思って投稿してみました。



コメント